- 石巻でボランティアした日記
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2011.09.30 Friday
ボランティアへ行った自分のことをある人はスゴイと声をかけてくれますが、決してボランティアへ「行った人」が偉くて「行ってない人」が偉くないなんてことはありません。でもなるべく行くことをお勧めします。なぜなら、いろんな話が聞けるし感じるから。
被災直後、被災された方々は何が必要で、なにがうまくいかなくて、どう克服して、そしてどんな問題が発生しやすくて、いや本当は平時からこうしておくべき・・・それらの話を聞いて自分が被災した場合にどう行動すべきか、どうしたら家族や近所の人たちを助けられるか。どこへ話をつけたら救助がくるのか援助してもらえるのか想像ができるようになりました。なので特に人の上に立つ役割の人間は被災地へ行くべきかと。町内会の会長とか、学級委員長などの「長」がつく人間と「先生」と呼ばれる人は行くことをお勧めします。
さて、石巻の話。
前回7月初旬に石巻へボランティアへ行っているので今回は2回目。3日連続有給休暇を貰い8泊9日。ちゃんと社長にも話をしてあるので堂々と取得。往復ともに太平洋フェリーで優雅な太平洋クルーズ。相棒はスティード。その車検証を忘れたのに気づいたのはまさにバイクでフェリーターミナルへ向かっての到着直前。
ターミナルに到着後、受付で結局車検証を見せることなく手続きが終了。バイクは乗用車やトラックが終わって最後に乗船。格納デッキにバイクをとめてベルトで固定してもらい格納デッキにあるエレベーターで5階へ。ちなみに7階建ての船です。
5階につくと客船の雰囲気。やっぱりイカした船です。ねぐらに荷物をおいてさっそく大浴場へ。サウナ入って、ジャグジー入って、とにかくビールをのむ準備を整える。大浴場の向かいにはゲームセンターがあるのでちょっと遊ぶ。デッキに上がって涼んで、レストランへ。いろいろ選べるバイキング形式。寿司とサラダとステーキ。ビール飲みながら。
食後はシアターラウンジでワインのみながらショーを楽しむ。その後バーのようなところでお茶を飲みながらクルーズの本が沢山あったので将来乗りたい船を物色し、寝台に戻り就寝。
朝起きてお風呂に入って朝食はパス。シアターで映画を見て(CGの映画だった。題名忘れた)、レストランでランチバイキングを食べた後、午後からシアターでグリーンホーネットが上映されていたので見た。
今晩はお風呂に入れないだろうからと下船前に大浴場へ。20時間の船旅なんだけどいろいろと忙しい。あっというまに仙台港到着時刻。
前回来ているので着いたー!!という感動も特に無く道もだいぶ覚えていたので乗ってきたフェリーを振り返ることなくバイクで下船後サクサクと石巻へ。目的地の黄金浜会館の近くちょっと道に迷う。無事会館へ到着し挨拶する。
その日の夜は地元の被災された方々もこの会館に遊びに来るので品の良い年上の女性とその娘さんをからかいながらトークしたり、外では地元の人たちがビールを飲んで語らっている。そのあと就寝。
19日曇り。外国の方々と側溝の掃除。
終了後に会館にはリカバリーフォージャパンの方々によるマッサージが行われており、わたしもマッサージじゃなくて自律神経系へのリラクゼーションを女性のスタッフの方に施術していただいた。
彼女に施術された猛者ども3人はその施術後爆睡・・・その一人。かなりキモチよかった。フフフ。
夕方ミーティングを行い、以下URLの記事にあるようなことをどうやったら防げたのかの話。
ボランティアが沢山いるのに仮設住宅で割腹自殺孤独死をだしてしまった件と、
http://sankei.jp.msn.com/region/news/110917/myg11091702160001-n1.htm
阪神のときの教訓で孤独死の対応として仮設住宅には集会所というのが設けられているのに使えていない件。
http://news.nifty.com/cs/domestic/societydetail/cb-20110913-35517/1.htm
ミーティング終了後、被災地巡回バスに乗って女川温泉「華夕美」の温泉を頂く。バスで来た人は無料。自家用車の人は有料。夕方急に寒くなったので今まで生きてきた中で5本の指に入るほどのお風呂の気持ちよさ。身体にしみました。
20日雨で作業中止。津波の被害がものすごい酷かった南三陸と女川をボランティア仲間でまわるドライブ。女川は前回も来てて多少ガレキの山が低くなった程度の感じ。基本的には以前と変わらず。南三陸はここも壊滅状態。建物の上にバスが乗っかってたり、手付かず状態。
夜はピースボートさんの自衛隊式?のお風呂をいただく。もちろん無料。
21日も雨。アサイチで支援物資がギリシャから送られてきたため皆で会館へ運び込み作業。昼間の作業は無し。会館にあったワンピース36巻くらいまで一気に読む。夕方雨が酷くなってきて念のため会館の玄関に土嚢袋を積む。
夜になって台風で会館のまわりの水かさが上がってきたので小学校の体育館へ避難する。そこは台風じゃなくて震災の避難所。
夜8時というのに若いおにいさんがきたので避難してる子供達は遊んでもらえると思い、ワラワラとあつまって仲良くトランプ。
この日は体育館で就寝。翌朝も子供達がまた遊ぼうといってくるが平日。8時55分ギリギリまで子供達は遊ぼうとする。母親に怒られていた。9時から学校が始まるので子供達は教室へ行った。車が小学校にひっきりなしにくる。生徒を送ってくる親御さんの車、車がないと学校へ来られない距離から学校へ来ているのでしょう。仮設に入っている子も多いんだろうなー。台風も過ぎ、雨があがっていたので体育館から会館へ歩いて戻ることに。
途中から膝丈の浸水。なるべく浅いところを近所の方々に教えてもらい回り道をしながらのアドベンチャー。途中、小学生の女の子たちが長靴でどこまでいけるか探検してたり(学校は無いのかな?)男の子たちは自転車で水の中を爆走!!おれもやりてぇ〜。なんとか長靴の中に水が入ることも無く会館前の道に到着。しかしその道がゴム長では通れないほどの深さ。一人犠牲者をだし会館にあるサンダルを持って来てもらい(裸足は危険なので)ズボンのすそを膝までまくって水の中をあるいて会館へ到着。
夕方台風被害で浸水したという石巻駅前の商店街へ軽トラ3台で行く。お店が浸水してました。支援物資を渡したり復興Tシャツを買ったりお話を聞いたり。
夜、市民の会の今野君の車でボランティア仲間5人でドライブがてら多賀城の温泉まで行く。多賀城って・・・フェリーターミナルの近くです。
23日晴れ、駅前商店街のお店の掃除をするか、渡波地区の側溝掃除をするのか選択できたので、側溝掃除をチョイス。と、その前にフェリーを半額にしてもらうためにテントサイトのある石巻専修大学の社会福祉協議会へバイクで朝一で行きボランティア活動証明書を発行してもらい、すぐに会館へ戻り作業。この日も外人部隊が沢山いらっしゃって英語が上手とおだてられる。本当にうまい人にはそんなこと言わないと思うんだが。
作業終了後皆に挨拶して夕方仙台へ。高速は渋滞。バイクはそのところは便利です。
仙台の街中につくと楽天の試合が終わったばかりのようで沢山の人たちが駅へ向かって歩いてました。楽天の経済効果はすごいんじゃないか?
アイリッシュバーでアメフト見ながらカウンターのお兄さんとすこし会話をしながら一人飲み。
ハンバーガーやシェパーズパイをつまみながらギネス。
駅のうどんも食べておこうと仙台駅の中をさまよう。てんぷらうどんをたべてから西口へ出てしまう。東口への行き方がわからなくなったので待ち合わせで待ちぼうけをくらってる風の可愛い女性に聞く。
笑顔で「ここの人間じゃないのでわかりません・・・」と答えてくれた。僕は来た道を戻ってホテルへ。
24日、ホテルで遅い朝ごはんを頂いて仙台城址へ。
伊達政宗の像を見て、フェリー埠頭へ。
ターミナルの受付のアイドル系の顔立ちのお嬢さん。7月よりも顔が疲れてたように感じました。
ここで車検証の提示を求められる。「無くしました」とウソをつくといくつか質問された。「本当に400ccで間違いないですか?」みたいな、ツンデレ系かも?無事受付終了。
仙台港を出発したフェリーにカモメがついてきた。飛んでる鳥を上から見るのはなかなか楽しい。
シアターで書道ガールズを見て、お風呂入って、ソファで雑誌読んだり、クルーズの本読んだり。
デッキで夕日を見てからレストランでディナー。
食後はシアターでショーを楽しむ。パーサーが挨拶、第一声「明日は伊勢湾ランチクルーズがあるため到着が1時間ほど早まります。」
なんだよ、がんばって早められるんなら普段から早めればよいのに。
家に着くと誰もいない。一人で洗濯して干してお風呂を洗って会館で貰った支援物資のミーゴレンを調理して、夕方家族が戻ってきた。玄関のドアをあけると小学生くらいの背丈の女の子がいて・・・娘さんをみて一瞬わからなかった。
僕の記憶の中で完全に忘れていた。娘さんの3歳くらいの頃の顔が僕の記憶には刷り込まれているようである。彼女はまだ6歳。保育園の年長さんである。
こうやって日記を書くと被災地の状況をまるで説明できていないことに気づく。自分のことばかり。
- 8泊9日石巻ボランティア
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2011.09.26 Monday
昨日の朝、太平洋フェリーで名古屋へ帰ってきました。
私が石巻にいるあいだ、名古屋では100万人以上に避難勧告がでるほどの台風がきてたとか、実家の浜松に上陸したとか、私は滞在していた石巻で皆に心配をしていただきました。そしてその台風はそのまま東北地方へ。
私の滞在していたボランティアの宿泊拠点である黄金浜会館が浸水。あと8センチで床上浸水・・・合羽着て軽トラックの荷台に乗って避難しました。あのようなとき水没した道を船のように進んでいく軽トラック。カッコよかったです。近くの小学校の体育館の。
そこは台風の避難所ではなく震災の避難所でした。半年経った今でもかなりの避難所生活をされている人たちがいることと、避難所の環境というのが身にしみてよくわかりました。子供達がすごく退屈しているのもわかりました。ボランティアへ行ったのに被災者になったような気分です。
でも避難所の方は温かく迎えてくれました。
翌朝、地域は冠水。石巻の駅前の商店街も冠水。
「津波の翌日もこんな感じだった」
「まぁひっくり返った車がないのが違うくらいで。」
と言っていた地元の人がいました。
ようやく立ち直りつつあったときに、地盤が下がっているせいなのか、なんなのか。
なぜこんなに痛めつけられなければならないのでしょう。
名古屋に帰ってきたらそれはもう平和な風景が広がってて。違和感を感じずにはいられませんでした。
でもね、冠水した道路を長靴を履いて探検しにいく子供達、水の中を楽しそうに自転車で爆走していく子供達。やっぱり子供はたくましいです。ちょっと救われました。
石巻の写真は後日。といってもほとんどフェリーの写真ばかり。
さて、今週末からトヨタ系の土日出勤が無くなって、みなさんと同じ休日を過ごせそうです。
- 塩が必要byタムラ料理長
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2011.09.14 Wednesday
ちょっと備忘録的に書いておきます。
先週のこと。金曜日の夜8時くらいに車で出発して台風12号で被害にあった三重県の紀宝町へ行き現地のボランティア専用の駐車場で車中泊する予定が、体調が悪かったので20時ごろ寝て深夜2時に起きて出発することに変更。四日市の御在所サービスエリアのガソリンスタンドに寄らなかったことが災い。次のガソリンスタンドがあるサービスエリアは安濃。しかし深夜なのか安濃のガソリンスタンドは高速なのに閉店・・・おかしいでしょ。
結局、尾鷲という街までガソリンスタンドは皆無でした。尾鷲という地名は名古屋人にとって特別な意味をもつところ、それは三重県のすごく南の町という意味。あまりにも南すぎて天気予報がいつも余所とは違う感じの・・・そのくらい遠いところまで深夜やってるガソリンスタンドが無かったのです。
世界遺産の熊野古道。熊野信仰。鈴木という姓は実は熊野信仰と深いかかわりがあるんだけど、まぁいいか。しかしまぁ本当に遠かった。
土曜日は川沿いのお宅の作業。床上1メートルの浸水。とても熱くて汗が滝のように流れて。ポカリが底を突き、ボランティアセンターでもらった水を飲み始めたら塩分がたりなくてバテそうになりました。ポケットの中の塩飴「戦争じゃないよ」があったのでそれを舐めながら水を飲みました。夕方3時くらいに区切りがついたのでセンターへ戻ると地元の女子高生が炊き出ししたものをボランティアの人たちに配ってました。野菜がたくさん入った食事だったのでありがたかったです。
そのあと車で那智の温泉へ行き、営業してるお店で食事でもしようかと思いましたが断水が続いていてスーパーはやってるんだけどレストランは営業中止。牛丼屋さんも持ち帰りのみ。
ここは地元の方々が優先ってわけで、私は駐車場でスパゲッティをゆでて綺麗な月を見ながら食事をしました。車の後ろの席をフルフラットにして普段寝ている枕と布団を敷いて完璧。
しかしなかなか寝られず。相棒の鑑識の米沢さんの映画を見ながらDSで三国志しながら寝ました。
日曜日はテレビでも映ってたガラスばりの堤防(高岡輪中)の中にあるお宅での作業。輪中地区なので2階も浸水。台風が来る!ってときはいつも決死の覚悟で家の中の全ての荷物を2階へ上げる習慣がある地域ですがそれでも2階まで今回は水が来てしまいました。土曜の夜ちゃんと寝れなかったで熱中症の危険があったのでなるべくセーブして活動したんですけど、それでも中指がつりました。むかしはどんなけ中指を動かし続けても大丈夫だったのに(うそ)
日曜日は作業が終わった後センターですし太郎のおにぎりを配ってたので遠慮せずに二つもらいました。酢と砂糖と塩とダシの味が最高でした。
着替えて名古屋へ4時間かけて戻ってマクドナルドへ寄って自宅に到着。風呂上りに自分の部屋でビッグマック食べながらビール。最高。
今週末から東北いきますけど、水はおそらくあるだろうから飴を買っていこうと思います。
塩には気をつけましょう。タムラ料理長。
そういえばタムラ料理長の減塩弁当なんてのがイベントで売られてたな。
- 紀宝町で中指がツって困った話
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2011.09.12 Monday
今週も始まりましたね。
いよいよ今週末の土曜日から9連休で再度東北の被災地へ行きます。またあのフェリーに乗れると思うと待ち遠しいです。
しかしながら先週の台風で紀伊半島南部が被災してて、お隣の県の三重が台風でやられているってのにフェリーで優雅に東北へ行くのはなにか違うようなきがしたので、この土日に三重県の紀宝町の社会福祉協議会へ行ってボランティアしてきました。テレビにも映ってたようです。僕の姿。家で娘さんがテレビの中に私を発見したようです。
で、三重県は隣なんだけど、紀宝町は和歌山県との県境。めちゃめちゃ遠かったです。高速も途中までしか開通してないし。250キロくらいあります。
紀宝町の隣は和歌山県新宮市、その隣は那智勝浦、そう、那智黒の発祥の地!おぅイエス!ナイス、スウィート、ナッチグロー!!!!!!イェイイェイ!!
海岸線や、世界遺産の熊野古道のあたりを空いた時間にドライブしたり、夜は勝浦にある温泉が無料開放されていたので失敬させていただきました。海がドーンとみえて綺麗でした。
活動は家財道具の運び出しや泥掻き。最後の最後、あと1時間で作業が終わるというときに右手の中指がツって10分ほど戦線離脱しました。中指を酷使したわけじゃないのに。
かつてゴールドフィンガーと呼ばれた私の中指も衰えたな・・・・